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2014年3月17日月曜日

世界が憧れた日本婦人~幕末明治女性に学ぶ美徳


平成26年度第四回埼玉女性委員会にて、石川真理子幹事が講演をいたしました。

約70名の輝く女性たちが集まり、たいへんな盛会でした。

以下が石川氏の講話です。

少子高齢化に伴い、社会に於いてますます女性の力が必要となります。
しかしながら、女性は家庭と子育て、介護など、事実上いくつもの役割を果たしていかなければなりません。これは大変なことであり、ぶれない芯を持たねば立ちゆかなくなります。
そこで、しっかりとした芯を持って生き抜いた幕末明治女性から、生き方を学びたいと思うのです。

幕末明治に日本を訪れた外国人から、日本の婦人は大絶賛をうけました。私たちの先祖は、世界最高の美徳を兼ね備えていたのです。
その美徳の基となっているのは武士道でした。仁・義・礼・智・信・忠・孝・悌という八つの徳は、やがて出版文化や寺子屋などを通じて庶民にまで広まっていきました。
さらに、女性特有の徳目があったのです。それは、女性の四徳というもので、以下の四点になります。

婦徳・・・素直、従順
婦巧・・・家事
婦言・・・言葉づかい
婦容・・・美しい心

幕末明治の女性はこうした徳をしっかりと身につけていました。そして、それが結果的に強く生きるための芯をつくっていったのです。

今回は、そんな芯のある生き方を貫いた明治女性から、大山捨松をご紹介します。
「鹿鳴館の花」として知られる捨松ですが、実は武家の女の顔というものを、しっかりと持っていたのです。

捨松は会津藩家老の山川家の末娘として、わずか8歳の頃に籠城戦を経験しました。その後、アメリカに留学。「絵のように美しいサムライの娘」として絶賛されます。
成績優秀で礼儀正しく、しかも活発な捨松は、多くの人々から愛されました。

高校卒業後は名門バッサーカレッジに入学。卒業の際には卒業演説を行う10人のなかの一人に選ばれています。
この時、捨松が演説した内容は、英国の日本に対する、いわゆる不平等条約をテーマとしたものでした。
捨松は、「この条約が助長するようなら、私たち日本人は、最後まで国を守るために闘う」と宣言したのです。
会場は揺れんばかりの拍手喝采に包まれ、翌日は、捨松を絶賛する記事が各新聞を飾りました。

捨松は看護学校へ通ったうえで明治15年に帰国します。
しばらく運命の皮肉に悩んでいた捨松ですが、宿敵、薩摩藩出身の大山巌との結婚を堺に、運命が大転換していきます。思いがけず社会での活躍の場を得て、そして、夢を実現したのです。

日露戦争の折りには、捨松は総司令官の妻としての役割を懸命に果たしました。アメリカから巨額の寄付金を集めることにも成功しています。
このことは、経済的に厳しい中で闘う日本にとってどれだけのプラスになったか知れません。

覚悟を持って生き抜いた捨松から、私たちは何を学ぶべきでしょうか。

まず、運命を素直に従順に受け入れることだと思います。それには勇気と強さが必要です。日々、小さなことから自分の我欲を乗りこえて、強い心を育んでいきたいと思います。
また、捨松には国家観がありました。
母として、妻として、そして仕事でも、自分が国を背負っているという気概を持ってあたっていたのです。
これはまさに倫理で丸山先生が教えているところではないでしょうか。

私たち女性は社会を担う縁の下の力持ちです。
男性と肩肘張って張り合うのではなく、相互いに補い合い、協力し合ってこそ国の発展があります。
このことをぜひとも、学び、日々、実践していきたいと思います。





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