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2017年6月28日水曜日

~私と倫理指導~鎌倉市倫理法人会 会員 熊坂節子 氏、  ~父から学んだこと~鎌倉市倫理法人会 会員 菅原 浩太 氏

20170627

今朝は雨降り、西日本では大雨が降るのに、関東地方では、水不足とか。確かに鎌倉地域の降雨量は本当に少ないと感じます。私達が生きて行くには、食料、水、、空気、エネルギが必須です。いずれが不足しても、奪い合いが発生し、究極的には人類滅亡にまで至る懸念があります。そうならないように独り占めはせず、困っている人・国を早く見つけて助けあうという譲り合う心を身につけたいものです。いつも通りの役員朝礼を終えて、6時半から、松谷会長の挨拶が始まりました。
「本日のMSでは、当会員の二人の講師が講話されます。楽しみです。来年度は役員が交代します。私は今年度限りで会長から退きます。あと2ヶ月ですが、なんとしてでも会員会社50社を達成する積りですので、皆さんも協力して入会候補社を探してください。そして、訪問の際には私も同行し、お願いしたいと思っています。」

次は、蔵多 幹事の会員スピーチです。


「鎌倫の暖かい雰囲気が、私は好きです、他会もそれぞれに特長を持っていると思います。子供時代には、素直な感性で、初対面の相手でも直ぐどのような人か判断できたものでした。学校を出て、最初の就職先は、某化粧品店でした。男性に負けないよう、スーツを着こなし、言葉もきつかったと思います。実績が上がって来たので、自信を持ってきたところで、体に無理が掛かったのか、病気になりました。鎌倉に来たときに気付き。自分のどぶ掃除をして、病から脱出できたのが良かったと思います。倫理に入会し、小さな気付きもあり、初心に還って、素直で良い子になるよう努力したいと思います。」

次は、本日の講師:熊坂 節子 氏の講話です。


【熊坂 節子 氏のプロフィール】

昨年6月、鎌倫に入会

「以前、埼玉に住んでいましたが、父母と同居するために、昨年横浜に引っ越しました。鎌倫には、石渡相談役の勧めもあり、入会しました。父が脳梗塞となり、脳幹という小形だけど重要な神経の源がやられてしまいましたので、殆どの機能が破壊されてしまいました。意識はなく、胃瘻により、チューブで栄養補給しながらの生活です。意識はないけれど、死ねない状態が続きました。医師は、一旦入れたチューブを外せば、殺人罪になるので、外せないと言います。

倫理指導を受けたところ、『夫に【はいっ!】を実践しなさい。』と指導され、何となく腑に落ち、実践すると、しばらくして退院することになりました。退院後、水分補給もなしに生き続けること17日間、昨年9月に亡くなりました。その後、私は全てのことにやる気を失い、再度、倫理指導を受けるべく、電話で相談したところ、その電話で、再度『【はいっ!】を実践しなさい。』と指導されました。心がついていけない、心がお坊さんのような感じになり、煩悩が強くて・・・の状態でした。しかし、そのうち、父の良いところが見えて来て、嫌いだった父が好きになりました。倫理にもっと早く出会っていたらよかったのにと思ったことでした。」

次は、同じく鎌倫の 菅原 浩太 会員の講話です。


【菅原 浩太 氏のプロフィール】
菅原 浩太 建築設計事務所 代表
1級建築士 インテリアコーディネーター
福祉住環境コーディネーター2

「私の父は、昭和の男でした。父からは、学んだことも、叱られたこともありませんでした。子供の頃、家族旅行をしたときのことです。母は大きな荷物を抱え、子供の手を引いて歩いていましたが、父は手ぶらで、母のことを『遅い!』と非難したことで夫婦喧嘩になりました。父は、電気メーカの技師で、ブラウン管の研究をしていました。帰宅したとき、ビールが冷えていないと、怒るような人でしたが、私に怒ることはありませんでした。

私は、物理系が得意で、建築学科を卒業後、2,3の建築事務所を転々としましたが、父は『お前、何やってんだ?』とは言いませんでした。しかし、父の助言が欲しかったと思っています。父は本を沢山読んでいましたが、息子の扱い、つまり、どのように話しかけるべきかが判らなかったのだと思います。

母が癌になったとき、父は急に優しくなりました。父はもともと丈夫で、バドミントンやジョギングをしていました。しかし、退職後、直腸機能が悪化し、排便困難で、コントロールできない病気に悩まされるようになりました。神経性の病気だから東洋医学の専門医に架かるように勧めたのですが、言うことを聞きませんでした。そのため、体重が7040kgに急減し、生き仏のようになりました。5年前に幻覚が出るようになり、自分が壊れて行く中で、不安がって死に場所を探して彷徨い、一時行方不明になったこともありました。母は献身的に介護しましたが、父は昨年暮れに亡くなりました。退職後の自由な時間を持つこともできず、可哀想なことになってしまいました。

「栞には『子女名優』とありますが、私にそっくりな父が嫌だったのでしょうか? 父が健康を害したのは、私のせいなのかもしれないと思います。上から目線で父を追い込んでしまったのかもしれません。父が弱っていった過程でそのように反省しました。亡くなった後で、父に、『ありがとう』の気持ちが湧きました。」

会話の少ない息子と父との関係では、えてして、すれ違いを生んでしまいます。本日の菅原 氏の講話は、父子の微妙な関係を赤裸々に物語ってくれました。この関係が倫理を知ることによって、後悔のない父子関係になることを切望します。


この後、美味しい朝食を頂きながら、講話の感想などを話し合い、笑顔の集合写真を撮りました。           (平松 健男 記)

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